夜気の中に出ていく前に

hellbeyond2005-04-08

ここの所、小学校時代の友人たちによく連絡をとっている。
「小学校時代の」とはいえ、いまだに一番近しく付き合っている友人グループである。僕の映画作品の数々は、彼らの助力無しには成り立っていない。


クソガキだった小学生の彼らも知っているので彼ら一人一人を「尊敬する」という言い方は何だかしっくり来ないが、彼ら各々が僕の人生観や精神形成に大きく寄与しているのは間違いない。
Yには何があっても飄々と「独り」で成立している姿を教わった。
Sには周囲の言葉に負けず「実体的な自分」を磨くということを。
Mには普段の「穏やかさ」と、必要な時にだけ発揮する「爆発力」を。
Iには無垢さと、周囲の悪意を許容することを。
兎に角良く人に言われる。彼らと僕のような強固に仲の良い友人同士は中々居ない、と。
周囲にどう見えるかは知らないが、僕らは僕らなりに下らない仲違いもするし、それぞれに公開しない「個の世界」も他人と同じくらいの分量で持っている。
一つだけ言えるのは、僕らは仲間の誰かが本当に「自分を必要としている」時には、多少のムリは押して協力/助力する、ということ。例えばそれは僕の作品作りであったのだろう。
ま、勝手に書いてるが、彼らが僕の作品にどのようなスタンスで関わってたのか、僕自身は(照れくさいし)聞いたことはない。只、僕の目から見れば上記のような言い方ができるキツい状況でも彼らは協力をしてくれていた。そして僕も同じように何かあれば協力するだろう。
何故にこのような友人関係が生まれたのか、ということだが、僕が今振り返って推察するに、恐らく一番大きい理由は、僕らが全員クラスの中で「馴染まない存在」だったということだろう。
YとSは二人とも「小学校高学年時の転校生」だった。Mもクラスでは目立たない少年であったし、I(ちなみにIのみ中学校からの友人。彼がこの輪の中に馴染んだということがこの友人関係の閉鎖性を否定してくれるといい...笑)は僕らと付き合い出すまで近所の遊び場も満足に知らない少年だった。そして僕は映画(特にホラー)への耽溺ぶりがクラスに知れ渡り、「ホラー野郎」のレッテルが貼られていた。


しかし面白いことに僕達は高校進学時、独り残らずバラバラの高校に進学した。それは勿論成績という実際的な理由もあったのだが、普通ここまで仲が良ければ(…というと何だか違和感がある。「他の友達と余り遊ばない」とでもすればいいのか。何だか暗いな…)一校くらいダブった進学があっても良さそうなものである。まあ兎に角僕らは違う高校に収まりつつ、僕の映画撮影やIやYの通うゲームセンターという「場」を作っては集まり、カメラ片手に夜の街を走り、コンビニの前でカップ麺を食べ、カツアゲされ、夜分に右翼の車に石を投げて補導され、バスケをし、女の子を好きになったりならなかったり、テントを担いで伊豆に旅行に行ったりした(沼津のビデオ屋で買った『キャプテン・クロノス』は今でも宝物だ)。


久しぶりに彼らに電話を掛けているのには二つ理由がある。
一つは、Yが警察官の試験に受かり、警察学校に入学したこと。
もう一つは、Sの父が亡くなったことだ。


Yは…どうも主体性が無いというか、良くいうとマイペースなのだが、世間の波にはじき出されそうな危うい瞬間があるので心配だった。それだけに試験を受けたと聞いた時は嬉しかったが、詳しく聞いてみると母親に勧められたという(此の!)。しかし一緒に補導されてパトカー後部座席からの夜の風景を共有した彼がサツとは…。どうなるか判らないものですね。
警察学校の内部は極秘事項が多いため、携帯もネットも禁止らしい。次に顔を合わせるのが可能なのはゴールデンウィークだという。僕は残念ながらその頃仕事で映画の現場中なので難しそうだが…。


Sにはこないだぽっかり出来た休みに藤沢に帰った時、駅のコンコースでばったり会った。
聞けば高速バスのチケットを取りに来たという。
特にいそぎの目的もなく出てきていたので、付き合うことに。
愛想の悪い旅行会社のカウンター。えーと、仙台まで。
何気なく「何で仙台?」
「オヤジの49日なんだ」
何で知らせなかったのか、と驚いたが、良く思い出してみれば、何となくそういう感じだったかも知れない。僕らは。
僕からMにも伝えたが、Mも上記二つの報せに最初は驚きはしたが、やはりどこか落ち着いていたと思う。
Mも僕も、これらの出来事に心を鬱いだり、大きく行動に影響を受けるほどにはショックは受けていない…のだろうか?
僕はかつて、僕とYを連れて逗子の高校に聳える裏の崖まで、化石を掘りに連れていってくれたSの父と母の事を思い出す。Sの両親に会ったのは確かその時と、あと数回しか無かったと思う。
もう既に彼らの顔はぼうとして、確かには思い出せない。
でも、僕とYが一つの大きい貝の化石を巡ってケンカを始めそうになった時、それを二つに割ったSの父のことは、今でも覚えている。
何となく、忘れられない記憶の一つである。


長文になったけれども、何か結論が出るわけではない。いや、いつものように書いている内にそれっぽいものが出てくるかと思ったのだけど、どうも出てきそうも無い。
僕はいつも通り、これから自転車を漕いで夜のヤフオク商品発掘に行って来ようと思う。
…そうだ。
その道すがら聴くCDの曲目くらいには、多少の影響を与えるかも知れない。