親方ショーン・帰るの巻

hellbeyond2006-02-01

 終わった。
 撮影が。


 その間に自分の作品のDVD(『MACTO』『羅眼』)を渡したひと↓
 ショーン・S・カニンガム
 デニス・バルトーク(脚本)
 ロイ・キニリム(特殊効果/ソタ・エフェクツ代表)
 野田直樹さん(撮影監督)
 あと制作会社スプレッドのプロデューサーさん!


 この中から新しい展開が生まれますよう!


 結局6日間の撮影だったわけだが、その間に起こった変革や失望や奇跡を考えると、その時間が僕の中でこれから持つだろう意味は例えば映画を始めた頃―高校一年生だった自分の一年間分に相当するのではないだろうか。
 何時までも自分が持っていた、相互理解不可能な可能性のある相手との会話への恐怖を無くしてくれたアメリカスタッフとの仕事。
 モニターで確認するだけで明らかに判る照明技術の違い。怪物を商品として撮るということ。
 日本人プロデューサーの仕事への熱意の無さ。Sir.ショーン・S・カニンガム監督は自分の持つ影像を役者や背景に投影することへの情熱を強く持っている。
 彼の本業がプロデューサーであることに対する危惧は、撮影の中でいつの間にか消えた。逆にそうだからこその視点で、近作のプロデューサーとの間で何回も衝突が起こった。監督は本当に真っ当なこと―「お金が無いことも、時間が無いことも、日本人スタッフが一生懸命やってくれていることも判る。俺が問題にしているのはそういったことじゃない。そういう状況だからこそお前らプロデューサーがするべきこと「無駄を省くための事前連絡やイメージ伝達の橋渡し」が大事なんだ。何をしていたんだ、今まで?」―を主張していた。
 きっとプロデューサーとしても本当に苦労してきたんだろう。
 台本にもらった彼のサインは、大学時代に恩師の月岡貞夫さんから頂いたサインと同列の重要さでもって、僕の部屋で位置を占めるだろう。


 そして、助監督業という視点から見たアメリカ映画はけして魅力的なものではなかった。チーフともなれば、監督と差しでコンテの打ち合わせも出来るし、監督の傍にいつも居られるので相談も受ける。が、セカンド以降はほぼ俳優事務(セットへの役者の呼び込みなど)とスケジュール切りで、現場に居られる時間は限りなく少ない。きっとそういう時間の長さでそうなってしまったのだろう、近作のセカンドも現場に居られる時間が出来ても、作業に加わろうとすることは結局無かった。
 バイリンガル日本人スタッフが三割弱ほどだった今作は、それでも僕にとってはやりがいのある仕事だったと言える。
 幼稚園時分にして「ぼく、ホラーえいがのかんとくになる」って口走っていた人間が居るには呼吸困難になるくらい濃い空気のなかで、高校生の自分が笑うのを感じた。


 「ホラー映画オタク」という言葉を僕に投げた全ての人に。
 ありがとう!