シャーウッドの橋

hellbeyond2006-02-23

 昨日は少しだけ早くスタッフルームを出ることが出来たので、久々にビデオを鑑賞。
 個人的に高評価の監督アンソニー・ウォラーの『脅迫者』
 と以前借りてきながら冒頭だけ観て返した『ミミック3』。


 両作に共通するのは、ヒッチコック作品の影響。
 これだけ内容が異なる作品をチョイスしても繋がりとして出てくる彼の作品の「影響」=面白さを改めて認識。


 『脅迫者』は、ガブリエル・アンウォーの描き込みが僅かに足りていない(このようなエンターテイメントタイプの作品であれば、キャラはもう少し類型的にしても良いはずだ。害の無い人間として彼女が決定付けられていない為、些か感情移入し辛かった)ことを除けばかなりよく出来た迷宮型サスペンスだ。緊迫するシーンでは二つ以上の状況が同時進行し、時に重なりあって影響しあう「上手い」演出−たとえばアンウォ−がシャワーに入っている。刺客が屋根伝いに彼女の部屋に侵入しようとしており、それを知った主人公が急いで階段を駆け上がって彼女の部屋へ向かう−が、客に「狙いすぎ」と感じさせずに成立しているというのは、希有なことでは無いだろうか?
 ラストの気持ち良い引き画も。


 『ミミック3』が何故ヒッチコック的かは内容を知る人間なら自明だろう。
 外出恐怖症で写真が趣味の青年が、夜毎撮り溜めている街路の写真の中に「殺人虫=ユダの血統」の生き残りを発見する…というストーリーは明らかに『裏窓』的。
 恐怖映画に限らず、大概の映画において観客が望むことは「主人公との同化」である。
 しかし、逆に主人公が居るからこそ観客は「映画に溶け込む」ということは永遠に出来ない。彼/彼女の行動を追うストーリーに於いて、観客が「私ならこうしない」「俺ならこうするのに」といった反応によって生まれる違和感は避けられないことであるし、主人公の主観のみで構成されたような作品でも無い限り(もしそんな作品があるとしたらとてつも無く退屈なものになるだろう。『ブレア・ウィッチ』のような)、観客は強制的に「傍観者の視点」に立たされることになる。
 そこでこの映画だが、主人公は街路で人が殺されるのを観ても、外に出ることをしない(出来ない)。
 彼のスタンスは、映画の登場人物の生き死にに関与出来ない(実は、これが「映像」の残酷さの核である)我々観客の状況と非常に近い。
 また主人公のいる部屋を高い位置に設定することにより、状況を俯瞰して見ることが出来る我々と主人公の意味的かつ地理的な視点も重なってくる。この作品に登場する怪物はアリから派生した生物であるが、彼らが人を捕らえて巣穴=マンホールに引きずり込んでいく様は俯瞰の1カットで処理され、子供の頃誰もが見たであろう、アリの巣に運ばれていく弱った昆虫の様子(更に、それをじっと見ていた自分)を想起させられる。
 無駄のない人物配置や前二作の方向性を汲み取った撮影も好感触で、ラスト10分までは久々の傑作かと思ったのだが…。
 ラストになってモンスターが「自ら」主人公の部屋にやってくる。
 勿論それなりの理由付けはしてあり、その「理由」を運んでくるのがランス・ヘンリクセンだったりするので騙されそうになったが…我々が見たかったのは、主人公がドアを乗り越えて自分の意思で「当事者」になる姿ではないのか?
 我々は、作品鑑賞中、主人公に擬態している。
 だから、主人公が何かを乗り越えることを切望する。
 主人公と観客を近付けることに腐心してきたこの作品の着地点として、ここが正しいとはどうしても思えないのである。
 悲しい。


 そして、今日も仕事は定時少し過ぎに終了。
 いいのだろうか…っていいわけは無い。撮影開始は三月中旬予定。
 監督から上がってきた特殊効果イメージを元に、手探りで準備は進む。
 ここまで特殊効果が売りになってくる作品にも拘らずVFX監督をつけなかった某P、どうなんであろうかそれは。


 ってことで本日は気温も高いことであるし、気分よく川口のビデオ屋までチャリンコの旅。
 風は若干強いものの、その中に含まれた適度な水分が気持ち良い。
 もうこの時期になると夜風に吹かれても唇がひび割れるようなことは無い。
 そして、水分と共に、その水分を風の中に放った植物の芽の香りも楽しい。
 春先(もうこう呼んでいいでしょう?)の、加速していく感じがいい。
 このまま自転車でどこまでもいける気がする。
 したので蕨市まで行ってきた。
 途中、荒川を渡る長い橋の上で口笛とも口から空気を吹き出す音ともつかない、「ヒー」という声を聴く。辺りを見回してもそんな音を出しそうなものや人物はいない。
 少し怖くなってもう一度辺りを良く見る。と、橋の手すりが棒状ではなく「C」を横に倒したような形状になっていることに気がつく。空洞部分に吹き込んだ風が走り抜ける音らしい。
 シャーウッドの人々を思い出した。
 少し小生意気な顔のクリスチャン・スレイタ−も。
 そして、あの映画が大好きで何回も観た自分も。