こげ茶色ルームメイト

hellbeyond2006-09-02

 仕事が始まった。
 またしても二時間である。
 脚本をたっぷり二ヶ月間書かせてもらったことでもあるし、今回のチーフが映画を良くやる人なので、特に迷うことなく受けた。
 

 で、一人暮らし再開である。
 別に田舎に引っ込んでたわけではない。ここのところ実家で色々あって雑事に追われていたのと、動きが取りやすいという理由で休み中は大泉より藤沢に多くいたのである。動きというのは勿論勝手知ったる庭という物理的な意味もあるが、自ら動かずとも周囲に人がいるので否応なく関係性の中で創作(大層な!)が出来るという精神的な意味もある。ちょっと電話すれば顔を見られる=脚本のアイデアを聞かせられる人間が周りにいるということである。大泉ではアニメ時代の友人(彼も既にアニメ業界の人間ではないが)がいる程度で、ともすれば一週間くらい平気で知人に会わずに過ごしていたりする。
 前置きが長くなったが、現在はまた大泉での一人部屋生活が始まっているのである。
 今日で二日目だが、既にして藤沢生活の依存症というか後遺症というか、久しく味わっていなかった感傷的な気分が甦ってきている。
 漠とした不安が一日中付き纏う。自意識過剰になる。仕事が終わらない気がする。時たま新しい物事の捉え方が浮かぶと、ヒョッと雲が晴れるように全てが上手くいく気がする。しかしこの感覚は一人でいると維持するのが難しい。誰かと分け合うことでその感情をもっと強く感じる、ということが身にしみて大切に思える。
 一日の中で何回か、はっと、息をつめたその胸の重みに耐え切れなくなっている自分に気がつく。
 ときたまこういう状態になる。自分は本当に一人に弱いのだなあと思う。


 夕方。
 部屋の中が気詰まりになったこともあり、仕事で使う新聞を買いに、朝日新聞の配達所へ自転車を走らす。
 上がり口の奥に据えられた食卓では、あからさまに「わけあり」って顔の若い衆が出前の中華料理を食べていた。まんま『疾走』の世界だ。うち一人が細い目でじっとこちらを見る。
 領収書の宛名を「大映テレビ」と口にするとき、なぜか自己嫌悪に襲われた。
 その帰り―イヤフォンから流れる音楽と、目の前を流れる景色のスピードを調節しながらトリップしていると、道端を歩く黒い塊に気づいた。
 いや、近づいてみるとその色はどちらかといえばこげ茶といったほうが正しい。夕闇が上塗りした色に騙されていたのだ。
 車通りの多い道を奇跡的に轢かれずに渡りきったそれは、練馬からは数十年前に居なくなったはずの「ミヤマクワガタ」だった。自分も子供の頃ボーイスカウトで強制移送された長野の山奥で見たきりだ。その時は、寝ている間に意地の悪い上級生に放されてしまった。子供の目から見たものと比較しているからか、目の前のそれはとても小さく見える。いや、それにしても小ぶりだ。きっと近所の子供が逃がしてしまった養殖ものだろう。
 …付近には彼(オスである)の餌になるようなクヌギの木はない。片手の中にそうっと包んで、部屋まで自転車を走らせた。
 子供の頃の記憶をたどり、料理酒と砂糖を混ぜる。出来上がったそれを割り箸の先に染み込ませて口元に持っていくと、黄金色の舌を出して慌てるように飲んだ。
 今、彼は、風通しのよい台所の窓辺でまどろんでいる。
 明日、自転車で、少し離れた場所にある林に放してやろうと思う。
 そこは、なんとなくかつての武蔵野を思わせる佇まいの雑木林だ。


 そして思い至る。
 晴れやかとまでは行かないが、さっきまでの重い空気が霧散しつつあることに。
 自分以外の何かが、今部屋にいてくれるということ。


 「ありがとう」。