まるいもの

hellbeyond2006-10-27

 仕事最終日が明けた一日目。
 久々に、小学校の頃よく遊んだ山の裾にある沼、通称「はす池」付近まで自転車を走らせる。
 とあるショート映像のロケハンである。弟と連れ立っていく。


 カラスウリがオレンジ色や朱色に染まって、冬枯れた木々に艶やかな色を絡ませている。
 この辺りの山道はかつて不法投棄のメッカで、衣類や雑誌に始まり、仕舞いには冷蔵庫や車まで放置されていた時期もあった。それらは山道をはみ出して斜面を転がり、木の根元にぶつかって止まり、山の中に点々と転がっていたものだった。私と小学校時代を共に過ごした「勝くん」というお兄さん、そして弟と三人でよくその斜面を恐る恐る下りた。そして落ちていたゴミを一つ一つまるで宝物を探すかのように手に取り、ときにはそれらを組み合わせてオモチャを作ったり、秘密基地を作ったりした。今考えると危険なことをしたものだと思う。その辺りは野犬も出るし(今もいるのだろうか?野犬という言葉自体聞かなくなって久しい)、ゴミの中にどんな危険な物が潜んでいるかも解らない。
 しかしそれら人間の生活の残滓がこびりついたものたち−いや、そんな穢れたものではない、誰かが何かの思いを持ったり持たなかったりして作り、使ったものたちに私はどうしようもない愛しさを感じていたと思う。
 それは幼年期の妖怪好きに端を発したもので、後年の廃墟趣味にも繋がっていく。
 かつて人が使っていたもの。
 とげとげしい人の意思が使われなくなってから経過した時間によって削ぎ落とされ、まるい、「意思」よりもっと単純で優しいものを獲得したそれら。


 現在山道には私の背丈ほどもあるフェンスが張られ、不法投棄ゴミも格段に減った。
 きっとそれはいいことなのだろう。
 今は山道に投棄されたゴミを見ると、自然に目で追ってしまうクセだけが、私の中に転がっている。