グレイブヤード・シフト

hellbeyond2007-08-24

 久々に『地下室の悪夢』を観る。
 スティーブン・キングの原作モノの中では実はこれが一番観返している気がする。
 キングの人気には内容の豊穣さに反して「軽く読める」というポイントが大きく関与している訳だが、映像化に際して本作では登場人物一人に寄り過ぎないという手法を用いてそれを再現している。


 再見してみて気づいたポイントが幾つか。
 自分は怪物映画の秀作としてコレを記憶していたのだが、それは間違っていた。勿論物語を転がし、クライマックスに向けて盛り上げるのは巨大地下獣ではあるが。主人公達が怪物に対して策を処したり、その脅威に「対抗」しようという描写がないのだ。そこにあるのはどうしようもない力の差に対する恐怖、そして食物連鎖のバランスが(主人公達人間にとって)崩れてしまう嫌悪感だ。キングは恐怖作家である。このアプローチは全く正しい。
 これは湿気て細菌だらけ、50年来のゴミがうず高く積もり、朦朧とするような熱気に支配された地下紡績工場という獏とした空間を「目で探索する」冒険ホラーなのだ。
 地下獣という個の生命体より、近隣の墓場、そして地下工場の更に地下深く展開する坑道(奴隷制時代のものか)を含めた主人公たちの「日常の裏返しにある世界」を恐怖の対象として捉えたその味わいはラヴクラフトの筆致をも思わせる。
 まあ、ラストのお手軽さや脱出経路の描写割愛など如何にもB級感覚で包んだセンスはキングのもので、ここが本作の評価の分かれ処だろう。自分は勿論好きだ。夏休みの午前、家族の居ない居間で音量大にしてワクワクしながら観るべき作品。


 一点だけ気になった処。これも今回気付いたのだが、前半部で執拗に工場長が人獣/殺人犯なのではないか?というミスリードが繰り返されていたこと(確かにスティーブン・マックは狼男顔だ)。物語のイメージを縮小させてしまう要素は慎重に排除すべきだったと思うが。