水虎譚

hellbeyond2007-08-23

 昨日は、気晴らしを兼ねて出かける。
 先日、ジャンク的風景を共有した友人M+友人Sとで奥多摩へ。
 当初は都内最大級ということで有名な某鍾乳洞へと車を向けたが、道程でSのタイムリミット(22時前までに新宿)に間に合わないことが判明し、急遽行き先をいくらか手前の鍾乳洞へと変更。
 M車内にはマップルが常備してあるのだが、奥多摩部分のページには点々と鍾乳洞の表記がある。東京もここまで来ると本格的な自然系擬似アドベンチャーが可能なのだなあ。
 くねくねとしたヘアピンカーブを上り、車二台は軽でもすれ違えないわき道に入り、(途中バッティングセンターやらビデオ屋を経由したものの)結局川崎の自宅出発から6時間後の到着となった。大駐車場と書かれた車五台分ほどの駐車スペースに停めた車の窓を開けると、甘いような山の香り。付近の清流で沢蟹を手玉に取り、軽く蜂に追われるなどした後に鍾乳洞入り口へ。
 ところで鍾乳洞というものは見物料もしっかり取る観光施設であることをこの時初めて知ったが、もぎりのおばあさんは巨大なブヨがヴォンヴォン飛ぶ売店内で優しい笑顔をくれた。
 三人で計1200円。結構いい商売よなとも思ったが、この付近一帯の収入など、これと清流の入漁料、キャンプ場施設などの観光業に大きく依っていることだろう。住宅と辛うじて舗装された道路を圧迫するようにしてあるのは鬱蒼とした木立と切り立った山の斜面で、これでは大規模な農業も不可能だし(林業はあるかもしれない)。
 鍾乳洞は予想通り、驚くほど巨大な乳状溶解石(カーテンと呼ぶらしい)があるでもなく、珍しげな光景が広がる場所はフェンスが張られるなど「こんなもんか」感は拭えず。
 一箇所だけ順路から外れる横道があり、その暗がりに潜んでSを不安に陥れるなど楽しんだものの、自分の中には食い足りなさが残った。


 で、もう一箇所・・・と半キロほど行った鍾乳洞へと向かったが、こちらは閉園時間。後で判ったのだが、最初の鍾乳洞も我々が到着した時既に閉園時間は過ぎていたのである・・・矢張りおばちゃんの笑顔に嘘はなかった。
 しかし地図を見ると、進んできた路を更に行けば何やら滝があるらしい表記。
 こちらもどうせ「水流」程度のものだろうが、先ほどの洞穴で紛れる冒険心でもない。大学就学中にはそれなりにアポロン・アドベンチャーを繰り返した三人である。
 という訳で大型車通行不可な山道を15分ほど、更に山奥へ走る。
 車を停めると、目の前には学校の池サイズの泉。その泉へと注ぐ水流を辿って山道へと分け入った。10分ほど歩いただろうか。蝉の声に混じって聞こえていた水音が、やがて蝉を圧倒し、遂にはそれ以外聞こえないほど大きくなる場所へと辿りついた。
 足を速め、清流を跨ぐ木製の橋の上に立つと、やっとそれはあった。
 7、8mほどの切り立った断崖から、一直線に落下している白い水柱。
 昨日の水量はそれほどでもなかったが、水柱の下には直径4mX7m程度の楕円形の滝壺もある。自分はそれを見た瞬間「足を浸けてみたい」と思い立ち、橋の脇の斜面から清流の脇に降り、岩の上を歩いてそちらへと向かった。
 後ろを振り返ると、友人二人も降りてくるようだ。
 一足先に滝壺に辿りつく。薄暗くなり始めた辺りの風景の中で、白い水柱は落ちているようにも、山の斜度に逆らって噴き上げているようにも見える。壺の中を覗くと、ゆらゆらと揺れる水面越しに茫とした水底が見えるような気もしたが、水深まではとても解らない。
 山道でハイカーなどとはすれ違わなかった。今現在、辺りに他に人も居ない。ハーフパンツを脱ぎ、足をそろそろと水に入れていく。
 一歩目は踏み出した右足の膝程度の深さ。突然深くなる要素もありそうだ。辺りの岩肌にしっかりと体重を支えることが出来る取っ掛かりを見つけてから、左足を踏み出す。


 ガクッと、視界が傾いた。


 慌てて左足を引き抜く。一歩目を踏み出した右足も、殆ど嫌悪感と同等の恐怖に駆られ、水から上げた。
 振り返ると、漸っと滝壺付近までやってきた友人達に告げる。
 「・・・凄く、深くなってる」
 そうして再度同じ場所から入水し、突っ込んだ足をゆらめかせて水底を探ったが、心もとなく水を掻くばかりで、体重を掛ければどこまでも沈んでいきそうな気配。
 三人して立ち尽くし、海とはまた別種の静謐さでもって圧倒する「深さの恐怖」を眺めてみた。
 もう少し早い時間、もしゴーグルなどあれば下着もシャツも脱ぎ捨てて飛び込んでみるという選択肢もあっただろう。しかし最早夜の虫が鳴き始めた今、視界も覚束ない群青の中へ深く潜るというのは危険と判断し、我々は虚覚えの「スタンド・バイ・ミー」を口ずさみつつ山道を下ったのだった。
 道すがら、かつての人々が滝壺に「竜神」がいるとして日常信仰の対称にしたことを思い出す。その正当性をこの日、肌で感じることが出来た。更に滝壺の底にある水中洞窟を抜ければ、桃源郷への路も開けるという。それもあるだろう。あの恐怖と不安感を克服する位の通過儀礼桃源郷への「通行手形」として必要だ。


 スキンダイブの器具を持参して再訪しよう、友人Mにそう提案したが、彼はこの道程を再び辿るのは気が乗らないという。それはそうだろう。いつ対向車が突進してくるかもわからぬ山道をこれほど長時間走るだけでも相当疲労する。といって自分は無免許者だ。
 頭に、先頃単車の免許を取った弟の顔が浮かぶ。
 潜りたい。母胎回帰願望を刺激されるような、恐怖とない交ぜの欲求。そしてあの滝壺の底から見上げた光景を写真に撮りたいのだ。