両手一杯の
大体において、「故郷」という言葉から想起される場所が唯一箇所という人間も少ないのではないだろうか。
自分にとってもそう呼べる風景は幾つかあり、生まれ育った場所である藤沢(この中でも、その景色は繁華街、中学校付近、高校付近など幾つかに別れる。)、そして小学生当時夏になれば毎年遊びに行っていた母の生家が大きく位置を占めている。
母は新潟の生まれである。母から遺伝した記憶なのだろうか、少年の自分はその景色にどうしようもない郷愁を覚えていた。蚊帳のざらざらした肌触り、泥の中に走るタニシの軌跡、青く光るタナゴの腹。
そして、いつも畑に立ち微笑っている祖母の顔。
私たちの来訪を待つように立つ、農家であることを誇って威厳ある家。
昨晩、そんな新潟の家を守っていた祖母が、85歳で他界した。
昨年の春、思い立って弟と訪ねていて良かった、と思う。
いや、夏にもう一度訪ねるという約束を果たせなかった、と思う。
今の祖母の顔を見られるだろうか、と思う。
母はどのように祖母の死と向き合うだろうか。と思う。
何時か来る別れ。
こんな時だけは、物を思い、空を見上げよう、と思う。