バーカーが気持ち悪く老けててビックリ

hellbeyond2009-03-19

 新潟より無事帰り着き、家でゴソゴソと脚本を書いたり映画を観たり。
 様々な想いはあるが、葬儀は滞りなく終了。親戚がいてくれることを有り難く思う気持ちを土産に帰ってくる。


 二ヶ月近く映画を観ない生活をしていたもので、気付けに『ミッドナイト・ミートトレイン』と以前から気になっていた旧作『アナトミー』を観る。
 オソロシイ偶然だが、この二作品に共通する駄目事項がある。
 「一見ハリウッド映画ぽいが、明らかに何か別のものであること」「作品自体に一時間半を走りきる持久力がないこと」。
 実はこの二点はイコールで結べる気もする。
 出だし・掴みは非常にオモシロイ。キャラに感情移入するための(=彼/彼女の生き死にに観客が心を割くだけの)とっかかりも用意されている。問題は中盤以降。『ミッドナイト』は見せ場が途端に減るとともに主人公が消えて脇役が事件を捜査しだし、『アナトミー』は犯人が判明し、彼が掃除婦に見つかりそうになってあたふたするドタバタ劇が展開し始める。
 また、両作品とも犯人がいとも簡単に人を殺せる人物であることは明白であるものの、殺す理由、その理念がさっぱり伝わってこないので、単なる殺人機械にしか見えないのだ。誤解しないでおきたいが、殺す理由が分からないから怖くない、と言っている訳ではない。作品早々に殺しのアイコンとしてのみ殺人鬼を印象付けると、登場したときに与えられるショックが限られてしまう傾向があるという話だ。
 我々が観ているのは映画である。だから、作り手は劇中登場人物に感情移入できるよう、細心の注意を払う。
 『ミッドナイト』のように殺人鬼の登場=誰かが死ぬという図式を固めると、殺人鬼が誰かを狙い始めた時点で「誰か」に対する観客の興味は失せてしまうのだ。これから死体となって転がることが決定した「誰か」に心を割こうとする人間がいるとは思えない。
 随分と残酷なことを言った。が、本当に残酷なのは、人の命を図式にはめて描く、機械的な映画製作者たちだと自分は思う。
 大多数の観客は、人が死ぬのを見たくて映画を観ているわけではない。おぞましい状況に取り残された人間が、生きようともがく姿を見たいのである。その活劇がスリルを生むし、人の心に残っていく。


 『アナトミー』は、続く続編が一作目の駄目なポイントをキッチリ復習して秀作に仕上げたので良いが、原作を心なくなぞったことも含め、『ミッドナイト』は相当に罪が深い。