『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ』

hellbeyond2005-01-05

昨日は部屋に貯まっていた未見ビデオを整理するため大きめの棚を購入。
それを午前中いっぱい掛けて組み立て(パッケージ開けてみたら「必ず二人以上で組み立てて下さい」て書いてあったが知るか)、部屋を掃除。
その後再び外に出て滞納していた健康保険の一部を払い、吉祥寺でニュー眼鏡を買いました。
思えば大学時代に買った前の眼鏡は7年くらい使ってたことになる。
お疲れ様です。そして新しい眼鏡お気に入りです。本日の仕事始めは眼鏡で行こうかしらん。


で、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナアメリカ』(’96)今観終わりました。しかし長いタイトル…。
これヒットしたんだろうか?シリーズの中ではあまり語られない作品な気がするが…。
友人にも「あまりお薦めしない」と言われていたので期待度も低かったのだが、これが中々楽しめた。ジャケットのオールアメリカロケ敢行!は眉唾だけど(酒場の中とか、町中、建物内のシーンは恐らく香港でのセット撮りだろう)。
今迄のシリーズにいまいち食指が動かなかったのは、作品が舞台としている時代の中国の文化、思想、政治的背景などに自分が明るくなかったため、観てもストーリーの表面を追うだけになってしまうだろうという危惧があったからである。この作品に関しては西部開拓時代のアメリカが舞台となっており、ビリー・ザ・キッドの登場(ジェフ・ウルフ好演!)、インディアンとの触れ合い、細かいネタだと「セブンイレブン」の起原など素直にストーリーの細部まで楽しむことが出来た。
何よりこの作品の成功は監督のサモハンに依る所が大きい。
勿論武術指導の素晴らしさは言うに及ばず、ここで下手にアメリカ人監督(例えばアンジェイ”XーRAYバイオレンス”バートコウィアクとかね)を起用したりしない所が製作のツイ・ハークの上手さである。
恐らく毛唐なら主人公のウォン・フェイフォンに英語を喋らせてしまうだろうし(こういう所で西洋に媚びたら今までのシリーズ台無しだもんなあ)、インディアンとのコミュニケーションももっと言葉やボディランゲージを介したものになっただろう。基本的にこの作品の登場人物は無理な「相互理解」を試みない。
異質な個性が気持ち悪く解け合って大円団を迎えるあのアメリカ映画特有の気持ち悪さがここにはない。
「ワンチャイ・ミーツ・アメリカ」に観客は大きな期待と共に不安も感じたわけだが、香港エンターテイメント映画界はさらっと双方の魅力を折衷してみせてくれていた。
なんかね、気負ってないんですよ。勿論布を棒にして闘ったりの往年のカンフーアクションも見せつつ、カウボーイのアイテムとか酒場でのアクションを変に誇張してない。見習いたいものです。
最後に音楽だけど、バンジョーを活用したアップテンポなウェスタンを基本にしつつ、記憶を失ったフェイフォンを救うため、街の中国人たちが大陸楽器をオーケストラ演奏するシーンなどでは見事にローウェル節全開!手堅いなあ。


え?カンフーは、って?
そんなの最高に決まってるじゃないですか!!