人間不在の映画。

hellbeyond2005-02-05

呪怨 劇場版』を観る。
散々な前評判であったので当然全く期待せず。
ビデオ版の1、2は既に観ており、あの『ヒドゥン2』より根性の入っていない続編を我が国から輩出した清水崇に失望もしていたので、更にその期待値は低かった。


…という訳で見始めて30分間は兎に角手元の早送りボタンの誘惑と格闘しつつ観ていたのだが、ビデオ版と異なる展開/演出をし始める中盤からは結構面白く観れた。
この監督は恐怖シーンを間断なく連打することにより、全編通して見せ場にするという手法で観客を掴んできた。本作でもそれは多すぎるかどうかのギリギリのラインで成立しており、観ている間は暇せず観れたという印象である。
とはいえこれは金の掛からない恐怖描写を脚本段階から選んで使っているからであり、数回登場する「(特にアフタープロダクション的な)エフェクトの必要な恐怖描写」はどれもアングルからエフェクトそのものの出来まで悲惨な画面になっていた。
また、後半になってそれが特に顕著なのだが、画面構成、展開に監修の高橋洋氏の諸作品からの引用が多く見られた(お化け屋敷に入ると煙が流れているのは『霊ビデオ』か)。
まあ、あれだけ手を替え品を替え恐怖描写を盛り込めば、誰だってどれかは怖いと思うだろう。気になったのは、それで手一杯になって「人間」描写に全く手がつけられていないことだ。
北村龍平にも言えることだけれど、清水崇は恐らくホラー映画以外撮れないのではないか?登場人物の造型が中途半端で成立するのは彼らが理不尽な消え方をする(死ぬ/行方不明になる)ことが許されるホラー映画だからであり、観終わった後思い返してみると印象に残るキャラクターのバックグラウンドが実は全く描かれていないのである。
登場人物が全員死ぬ、それはそれでいいだろう。そういった恐怖映画は今までも山ほどあった。しかし死ぬからといって彼らがぞんざいに扱われる理由にはならない。
人間(人生)を描こう、という作り手の意識がしっかりあり、その上で作り手の「顔」を感じさせなかった名作『リング』の凄さを改めて実感。


ちなみに舞台になってるあの「家」、僕も作品のロケで行ったことがあるが、やっぱキモチワルかった。場所もなんか変に入り組んだ、古い家ばっかりの路地の中にあって。多分清水崇も助監督時代に仕事で行って印象に残ってたのでは。