『ゴッド・アーミー 聖戦』

hellbeyond2005-02-16

『ゴッド・アーミー 聖戦』を観る。


一作目の大ファンである自分に取っては冒険である。前作『ゴッド・アーミー/復讐の天使』が大駄作になっていただけに…。しかもジャケを読む限り、今回はクリストファー・ウォーケン演じる大天使ガブリエルが主人公を護る役だって?大いに不安である。


近未来を舞台に天使と人のあいの子である主人公を巡り、ガブリエルとゾフィエルというニ大天使が繰り広げるチェイス&バトルなのだが、風景や風俗的には殆ど現代と変わらず。まあこれは刑事がやけに信心深く聖書のマニアックな内容を知っていたり、放任主義な神を糾弾する新宗教の存在などを嘘っぽく見せないための設定だろう。オープニングから30分くらいはストーリーが転がらず、アクションも無し。一作目のような崇高な雰囲気や濃厚に漂う黙示録の予感なども感じられない。ウォーケンが汚い長髪で車を運転しているシーン(ごめん)、観客が感情移入できていないまま死んだ主人公の生き返りシーンなどを覇気なくみせていく。
しかしである。ゾフィエル(ビンセント・スパーノ)と主人公が顔を合わすや、突然生き返ったようにスタイリッシュなアクション、天使的行動(死者の瞳から記憶を探ったり…)のつるべ打ち。
何よりも嬉しいのは、ニ作目を飛び越して(実際ニ作目は殆どなかったことにしている節がある。正解である)一作目への目配せ、一作目にしびれたファンの喜ぶ撮り方を多用していることだ。エンドロールには一作目のテーマ曲のデジタルリミックスまで流れる。
特殊効果を駆使して、映像をクライマックスに向けてどんどんスケールアップさせていくテンポ感も上手い。シリーズ中では最も金が掛かっていると思う。ま、ニ作目の失敗で、この世界観を低予算で見せるのは無理だと気付いたのだろう。
監督は『ドラキュリア』でも聖書を組み込んだストーリー展開を見せたパトリック・ルシエ。適任である。アクションの演出も上々。ウォシャウスキーは見習え!
この監督はストーリーに深く絡まない…というか、あってもなくても話は進む細部への凝り方がとても上手いと思う。天使が持っている心臓摘出用武器とか、天使を天使らしく見せる演出とか、心無い監督だったら適当にスルーする所にちゃんと向き合ってくれる。
あ、そういえばスタントコーディネーターとスタントダブルの数人が日本人だった。なので(?)クライマックスにはチャンバラもあり。
もしかしたら次作は日本人監督か?
あ、駄目だよ。北村龍平に撮らせちゃ。


続いて’82年フランス映画『チャオ・パンタン』を観る。


冴えないアル中のガススタンド店員と、息子ほどの年齢のヤクの売人の湿気た友情を適度に傍観した演出で見せる前半はとても好き。但し青年が死に、復讐に燃える中年が街のダニを処刑し始める後半はキモチワルイ程にセンチメンタルで嫌だった。殺しのシーンに豪雨が降ってたり、主人公が実は元刑事で手際よくワルを一撃必殺で射殺したり、やり過ぎ。
しかも、前半では適度な距離をおいて青年と付き合っていたのに、彼が死んでからは直接殺害に関係の無いギャングまで殺したりと「それで彼が喜ぶのか?」といいたくもなる。オヤジは「俺が刑事の仕事で忙しい間にヤクで死んだ息子の罪滅ぼしだ」と言うが、彼の行動には思慮、回顧、対話性が相変わらず感じられない。それが無かったから息子は死んだのでは?いや、それを更に糾弾するのが演出側の意図ならいいのだけど、別にそこに意識的だった風もない。
要は中年の自己満足なのである。この映画自体が。
青年の彼女がオヤジの部屋に居着き、あまつさえ最後はベッドインして二人で逃避行を図るなどほとんど妄想の世界である。ああ、本当に気持ちが悪い。
ちなみにこの映画、「リュック・ベッソン・セレクション」ってビデオシリーズの一本として発売されてんだけど、セレクションって…偉そうだなオイ。先輩の作品のビデオジャケットに堂々と顔出してる。しかも腕組んで。巻頭にベッソンの解説映像が入ってるんだけど、これがやる気の無いバスガイド以下の愚にもつかないコメント。「本当のパリが描かれている…」だってさ。
別にパリじゃなくても成立する話ですけど。大体本当のパリって何だよ。
あ、人が死ぬ前に沢山鳩が飛ぶとか、そういうのが?


本当に偉そうだなあ。ムカツクや。