謝謝(なんとなく)。

hellbeyond2005-05-25

今日、とても貴重な邂逅の機会があった。


もしあの場で、この半年間心の中でこねくり回した謝意と二年間の感慨と感謝を全て吐き出したなら、きっと(或いは)今頃自分はずっと楽な心持ちだったろう(か?)。
以前から自分の場の読みの遅さのせいでいろいろ辛苦を味わってきたが、今回もまんまと目の前を通り過ぎていく「邂逅の機会」を見送るだけだったというわけだ。
帰り道、いつも通りの早足で歩きながら考える。


そうか、でも、あの時呼び止めて話し込んだとしたら、楽になるのはむしろ全てを吐き出した自分だったのではないか?
一方的に吐き出して、メールして、電話して、僕に「出来事」に対する自分なりの解釈の余地を与えずに終わらせられた、あの時感じた悲しみを、僕は何を学ぶこと無くその相手に「返却」する所だったのでは?
いいや、これは瞬発力の無かった自分に対する言い訳かもしれない。
わからない。


でも、(まあ、)もう自分の気持ちは、違う方向に向いているのだなあ。
何となくそんなことを思う。
前回チーフの家にお邪魔した際、多磨駅で電車を待った時もそう思ったけれども、今回のことで更にその思いを強くした。
こうして書いている間にも、すれ違った瞬間の、細っこいけど鋭い味はもう舌先から薄れていくもんなあ。


そうそう。今日はチーフの家にお邪魔して飲んだ。
で、まあ、帰り道に前述の出会い(こちらしか気付いてないから「発見」?)があったわけだ。
前回寝ていて会わなかったチーフの両のお子さんにも会った。2才と8才くらいの姉弟
酒を飲みながら『サボテン・ブラザーズ』を観る僕ら。台所から興味深げにそんな僕らを観る彼ら。
彼らを寝かした奥さんは、バカ話をする僕らを横目に、台所でずっと明日催すらしい息子さんの誕生パーティーの為の風船を膨らませていた。
いいなあ。