赤い自転車で郵便局へ行こう

hellbeyond2005-07-17

今日も友人に借りていたものの整理返却。
Nに借りていたCD、本などをコテコテと梱包。
住所を確かめるために以前もらった手紙を手に取る。そうだ、手紙を同封しよう、と思いつく。



ところで、僕の創作の原動力のうち一つが「苦しんでいる誰かに対して自分が何をしてやれるのか」という問いである。大学最初の三年間を通して、自分はその一点に対して創作をしていたように思う。
『To The Sea.』はそういった「誰かに何かしてやりたい」という思いのみで描き上げたアニメだといえる。『SPOILED rail』は作品中ずっと主人公が友人に「お前、なんであの時何もしてくれなかったんだ」と問い掛けている。
『STOP OVER STATION』も、友人ケンジに主人公が何もしてやれなかったようで、実はしてやれていたということを知って救われるという物語である。
特に『To The Sea.』はそれが顕著だが、この時期の自分の作品の主人公を見ていると、置かれている状況はいわば「据え膳」である。
「助けたい人」が助けを求めている、という。
今となればもう恥ずかしいくらい解り易く、自分は誰かを救うことで僕自身を誇示したかったのだなあ、と思う。いや、当時もそれは解りながら作っていたかもしれない。
只、「助けられない」という選択肢は、僕の頭になかった(これは映画の主人公が、ではなく、映画を作っている僕が助けを求めている観客を、である)。
それを具体的に僕に示してくれたのが(こういう言い方はNは嫌がるかもしれないけれど)、きっとNだったのだ、と思う。
僕とNが良く会っていた一時期、Nは内省的に、また現実的な問題に思い悩んでいた。
Nが僕に相談や愚痴などを零すとき、僕は夢中でその「問い」に応えようと、またその「悩み」を打ち消そうと言葉を重ねた。何のことはない、僕はNが好きになっていたというそれだけのことだったのだが、僕は変な使命感でもってNの抱える錘を受け取ろうと、メールで、Nの部屋で、近くのモスバーガーで、電車の中で、何度も話を聞き、自分の考えを伝えようとした。Nの抱える問題を何とか、せめてNの心の中でだけでもその重さを軽減してやれないか、そればかり考えていた。
それでも、結局自分の気持ちをNに伝える時は、何とも消化不良な、たどたどしい感情しか示すことが出来なかったのだった。具体的にNに何もしてやれていない、そういう劣等感があったからかもしれない。それとも単に機を逸した状況に怯えたからか。
とにかくそういうことがあって、僕は自分自身、創作テーマ両方に一回疑問符をつけたのであった。
その時期中〜時期後に製作した『MACTO』にそういった使命感が見当たらないのは、そのテーマを一回封じ込めようという思いが働いたからだ。
今でも自分が誰かに何かをしてやれるかどうかについて、自分には自信がない。
いや、そもそもそんな自信を持つこと自体が今の僕にとっては「間違い」のように感じられる。
只、「何かしてやりたい」という思いだけは不安げながらまだ僕の中に居り、ふと思いついて書き留める作品のアイデアの中にひょっと顔を出すときがある。
あの思いは、誰もが若い時、また創作を始めたばかりのある一時期、必ず口にする一過性のものなのだろうか。だとしたら余りにも寂しい。
そういう「その思いを無くしたくない」という思いだけは、確かだ。
もう一度あの思いの尻尾を掴めた時、僕は現在は物語の滑り出ししか創っていない『To The Sea.』をまた描きたいと思う。


梱包は、どんなに丁寧にやっても3分ほどで終わってしまった。