paranoia

hellbeyond2005-07-27

昨日より一時間睡眠時間を減らすことに成功。
きっと何処の家でもそうだろうけど、まず洗濯をする。
籠を手に外へ出てみて一瞬熱気の壁に遮られる。スゴイですねコリャ。
そりゃ夢うつつでエアコンもつけるわ。


今日は歯医者と図書館。夜になって気温が下がったら成増のビデオ屋まで仕入れに行く。


ラリー・ドレイク主演の『パラノイア』(’97)を観る。
ジャケットを見るかぎり、『ダークマン』の悪役が生涯最高の当たり役と言う不運なオジサンの演技が見所らしいが、半ばまで鑑賞するに彼の演技から感じられるコワさは実に凡庸なものである。しかし、最後まで鑑賞し切った後の僕の感想は「傑作!」だった。
主人公は、前述のオジサンの引き起こした一家惨殺からひとり生き残った少女(事件から20年後の設定)。彼女は事件が元で昼間外を出歩けなくなっている。更にクローゼットの中で生き延びたので暗所+閉所が最も安心する場所である。
彼女の元にドレイクが舞い戻る。
主人公が隠れ住む湖畔の別荘に包丁(劇中でも「sushi nife」と呼称される)を手に侵入し、あわやという所でドレイクが転ぶ。足元にはピアノ線。そして転んだ先には大量の画鋲!
彼女は待っていたのだ。暗闇で過ごした時間は、彼女にとって苦痛や憂鬱の時であると共に、復讐の為の修練期間でもあった。
「あなたのお陰よ。あなたのお陰で私は、普通の人が怖がる暗い場所も狭い場所も平気」…。
そして彼女の「恐怖」を用いた復讐が始まる!


何かこの作品を観て、自分が何故恐怖映画にこだわるかが判った気がする。
僕は主人公たちが恐怖に晒されて怯えて殺されて…それで終わりの作品は好きではない。
僕のフェイバリットをあげてみよう。
『エイリアン2』『ファイナル・ディスティネーション』『ミミック』『チェンジリング』…
もちろん恐怖映画なのだから、主人公たちが序盤で感じる感情は「恐怖」であってしかるべきだ。
しかし、絶望的に凶大な相手を前にしても、半ばヤケクソだったとしても、それに「対して」いこうとする主人公たちの姿が僕は観たいのである。
パラノイア』ではそこから一歩進んで、逆転して主人公が恐怖を与える側にまで到達してしまう。
下手したら観客にも恐ろしい存在と映りかねないほどの迫力である。結構美人なのに。
そうか、ラリー・ドレイクの凡庸な狂気演技は彼女を引き立たせる為の布石だったのか(な?)。


こういう映画の主人公を観ていると、馬鹿みたいに何かが出来るような気がしてくる時がある。
死ぬまではヤケくそでも生き延びて、その先に何が在るかなんて考えない。
その位の希望はまだ世界に対して持っていてもいい。
それを論理的に納得させてくれるような映画を観ていたい。
作っていたい。