UNIDENTIFIED

hellbeyond2005-08-27

本日から『ランド・オブ・ザ・デッド』がロードショーされる。
『ゾンビ』は自分が初めて観たカタストロフ映画で、その強烈な箱庭感は僕の作品にも大きく影響を与えていると思う。
短編小説集『死霊たちの宴』を練馬区立図書館で検索、予約する。これはロメロの提唱した世界観を舞台に、キングなど著名作家たちがめいめいオリジナルの話を創作したもの。


それまでに現在借りている本を読まなければ、と思い戸梶圭太の『未確認家族』を読みはじめる。
『ビーストシェイク』『自殺自由法』は全体評価65点くらいのノリの悪い電波系犯罪小説だったけど、この作品は登場人物のタガの外れ方がギリギリのリアル感と人生踏み外した人間特有の疾走感を兼ね備えていて、カナリ楽しめる。
『未確認家族』も戸梶作品の殆どがそうであるように群像形式であり、それぞれのエピソードの一番面白い所で取り敢えず他の人間の描写に移るそのタイミングが前出のニ作より格段に上手い。それが淀まず読み続けられるポイントなのかも。
映画『溺れる魚』も今度観てみようと思っている。


ネットで合宿免許の申し込みをする。
一つ前にやった仕事で、運転免許を持たないもどかしさに我慢出来なくなったので…。
伊豆大島にある東京センチュリースクールとやらに厄介になることに。
9/7から15日間、恐ろしく設備のナイ民宿にカンヅメ。何しろ教習所からバスで30分。…絶対周り何もないだろうな。
ヒレ&スノーケルはこっそり持っていくけど。


今日の画像は、友人の顔を元にして作ったサイボーグ。
さて誰でしょう。


…『未確認家族』を読み終わる。
この作品内には(いや、戸梶ノヴェルの殆どがそうか)電波殺人鬼、麻原、右翼、虐待親、警察官、援交女子高生、不倫女、痴漢夫、いじめッコ小学生、傘差してチャリに乗る高校生…そして家族と言う薄い体面の殻に守られてのうのうと暮らす激安無価値人間ら、作者が憎む(いや「蔑む」か)への無方向性ジャッジメントというべき暴力が溢れている。
しかし、多くの一見アンモラルな作品がそうであるように、この作品もまたそのラストで罪人(=激安人間)たる母親(であり元援交女子高生であり殺人者であり不倫妻)に「癒し」と物語的な死を与えて終わる。
しかし、読み終わってふと思った。彼女と、劇中であっけなく死んでいった人々との違いは何なのだろう。
何故、彼女だけが感動的な死を与えられているのか。逆に言えば、どうすればそれが手に入るのか。
わからない。それがとても恐ろしい。それが解るまで、激安人間である僕は不安と暴力への恐怖に怯える日々を続けなければいけないのだろう。
(実は、それに理由などないことはわかっている。劇中取り沙汰される殺しやセックスのように、全ては偶然性がその発生に大きく寄与している。…誰にでも当て嵌められる客観的な救いなんてないのだ。救いは、それぞれが勝手に脳内で造り出した幻想の中にのみ存在する)
『牛乳アンタッチャブル』に迫る傑作戸梶作品です。『未確認家族』は。