HANGER for TRASHES

hellbeyond2005-08-30

今現在、自分は映画を観ることで日々の収入を得ている。
というのは別に映画評論家になったなどということではなく、助監督の仕事を一時切って脚本・企画書などコネクリ回している今、ほっておけば一年間働いて得た貯金も底を尽き、嫌々ながらまた詰まらぬ2時間ドラマの助監督の職を得、『ドラゴンボール』に出てきたレッドリボンの配下、ブヨンのような人間に「助監督、何やってんだあ」などと謂れのない怒声を浴びせられるという事態は免れないのである。
という訳で某かの手段で金銭を得なければならない。そうして部屋の中をぐるり見回すに、あるものといえば積み重なったビデオ群。
この中からマニアが食い付きそうなものをインターネットに売りに出したらどうだろう、と考え付いたのが大学二年の時分だった。その折は自主映画の制作費にやはり汲々としており、苦し紛れにいらぬビデオを競売に掛けてみた途端、自分の手元にはその当時自分がアルバイトで一月掛かって稼いでいた以上の金銭が舞い込んできたのである。
それ以来自分はずっとそんなことを繰り返しているので、かれこれビデオ転がし歴も7年になろうとしている。最近は買ってきても観るペースがそれに追い付かないので、部屋には観ていないビデオが随分と溜まっている。しかし売りに出すには解説文が必要である。観ないことにはそれが書けないので、最近ではそんな理由で日に二・三本は映画を観ていることになる。
そういったことで、まあ言い様によっては映画を観ることで収入を得ている訳だ。


しかし、ふと中学校や高校当時の自分がビデオをデッキに突っ込む折に感じていた期待などを思い返してみる。と、どうしたって最近はそんなものが薄れてきていることに思い至る。
「本当に観たいもの」だけを観るということが出来た自分が羨ましい(現在では当時より金銭的に余裕もあるので、大して観たくないものでも購入してしまったりする)。
映画評論家たちもきっとこんなことを感じる時期があるのだろう。


良く映画製作者たちが言う。「本当に映画が好きなら、製作には関わらない方がいい」
これにもうひとつ、「本気で映画が好きなら、職業としての評論家には向いていない」
が加わってしまうのか。
映画が好きな人が本当に幸せで居る為には、純粋な「ファン」でいるしかないのだろうか?


※映画製作をしていれば、創作的な喜びがそれを補って余りある、なんてことを言う人は本文の趣旨を理解していない人とします。