ハイウェイめん

hellbeyond2005-09-21

『ハイウェイマン』を観る。


この作品を初めて予告で観た時、感動でいくぶん頭がくらくらした。
だって、今こんな明らかにだれも望んでいない(…いや、自分は望んでいたのかも)サスペンスを製作するんだもん。ハイエナみたいに鼻の利くはずのハリウッド製作会社が。
そもそもこのジャンルは’70年代にスピルバーグの才能と共に産声を上げ、’80年代この作品の監督、ロバート・ハーモンの『ヒッチャー』で完成し、’90年代以降はC級プロダクションに目を付けられて駄目作品の温床と化していたのである(例外:『ブレーキ・ダウン』)。シドニー・J・フューリーしょっぱなから犯人の面が割れてる『ロードレージ』とか、デラン・サラフィアンが全力で空振りした『ロードストーカー』とか、思い出すだけでムカムカする作品が続いた所にこれである。
思うに『ヒッチャー』に影響を受けた世代が製作に回り、燻ってたハーモン監督に今一度ホームグラウンドでの起死回生を願ったのだろう。
結論を言おう。


失敗。


最も大きな理由は、アメリカ映画の悪い所…「登場人物が頭悪すぎ」がキャスト全員にまん延しているということ。
何年も殺人鬼を追ってるはずの主人公は、ちょい美人の被害者を前にするとナンパとしか思えぬ行為を繰り返し、決闘に赴く前のガレージで彼女にエンジンを掛けさせたり(しかも手を添えて!エッロー)などとやたら劇的なことを好む。
女も女で、今さっき事件に巻き込まれたばっかでビビりまくりの筈なのに、ちょろりと主人公の境遇を聞くと途端にやる気になってついてくる。
傍役の黒人(事故調査官らしい)は全編ボッケーと見てるだけで何もしないので居る意味無し(逆に主人公と殺人鬼がカーチェイス中に、安全な場所にいる彼の車が側溝にハマったりして、激しく観客の集中を阻害する)。
ヒッチャー』の主人公も頭の悪い青年だったが、彼の軽率な行動が道中様々な人を死なせていくというところに恐ろしさがあったわけで、更に言えばそんな軽い彼(冒頭、殺人鬼を車から振り落としてはしゃぐシーンで印象づけられている)が「戦場」をくぐり抜けて諦観を纏ったラストの行動に辿り着くというコンセプトだったから、あれは正解なのだ。
しかし、この映画は…。
主人公、敵の車が廃車の下敷きになって停まるとノコノコ出てって襟首掴まれて車で振り回されるし…。
思いつきで走ってる荒野にあった納屋を見て「何か気になる」って立ち寄るとドンピシャで殺人鬼のアジトだし…。
アジトに辿り着くと、停めてある車を調べずに室内から調べ始め(「奴は車がなければ無だ」とか言ってたのに)、呆れた殺人鬼にパッシングされて慌てて出てくるし…。
やっべ、ここまで書いてると凄く面白い作品のような気がしてきた(笑)
肝心のカーチェイスシーンに関しては、細かいアイディアは悪く無いが、編集のリズムが絶望的に悪いのと、アップが多すぎてしばしば車の見分けがつかなくなるので、僕のような集中力の無い人間はすぐ「明日何時に起きようかなあ…」とか、関係の無いことを考え始めてしまう。
あとDVDの鮮明な画像で見るとよく解るけど、車の中は全部ブルーバック合成。道理で顔を見せない理由の無い客観カットで役者の顔が見辛いと思った。ボディダブルなのね。


そして決定打。この作品、殺人鬼がチェアウォーカーなのだが、そこにはやったら自覚的で、ラスト付近で主人公たちがその弱味をついた攻撃をしまくる。容赦ないその様子はまるで苛め。トドメのシーンなんて、擁護団体が観たら卒倒するよこれ。
この私に「ひどいよ…」と口走らせるとは…やるな。
ラストでは、障害者を轢殺した主人公カップルが抱き合ってカメラクレーンアップ。その中でエキストラ警察官が二人に何か話し掛けてたけど、多分「もうちょっと慎みなよ」とか言われてたんだろうな。
で、これで終わるかと思ったがどっこい殺人鬼のオジサン生きていた。
半死半生で横たわる彼に被る影。何もしなかった黒人だ。あっショットガンもってる。止めろ!
殺人鬼「…お前は誰だ?」(すっごく正当な質問)
黒人「州の事故調査官の○○だ」
BANG!
ホワイトアウト
絶句。


むかつくので今日の画像は『狼男バサーカー』より自称狼男。