The way people move
とてもよい仕草をする人がいる。
僕が人を好きになる/気に入るとき、僕はその人の仕草から入ってきたような気もする。
ゆっくりと、一つ一つの仕草に区切りをもって、仕草を大事に「動く」、そんなひとをずっと見ていたいと思う。
ふとした折に、自分も仕草に区切りをつけて、ひとつひとつの仕草を意識して「してみる」ことがある。自分がやるとどうも演技くさくなるその行動を、この人はどうしてこうも普通にこなせるのだろう、と思える人がいる。その秘密を知りたい。ずっと、観察していたい。
それはもしかしたら、誰かを前にしたときにしかしない仕草なのかもしれない。
それに、この人は「大事にしよう」と思ってその仕草をしている訳ではないのかも。
それでもいい。だって僕にとって大事なのは、「そう見える」ということ。
視覚情報に敏感になりたいと思い、事実そうなってきた自分にとって、「そう見える」ということは「そういう本質を持っている」ということに繋がる。
僕にとっての本質とその人にとっての本質。
それがすれ違っていても、そのままにしておこう、と思うようになった。
以前の自分なら、潔癖なまでに正そうとしただろう。
けど、僕はそんな仕草を「好ましい」と思っているんだから。
見ていたい、と思っているんだから。
この感じを変えるほどの理由は見つからない。
でも、いつかこんなことについても、話してみようかな、とも思う。
「どう思う?」って。