Jeepers Creepers 2

hellbeyond2006-11-25

 『ヒューマン・キャッチャー』を、布団に包まって観る。


 昨年末頃買って、冒頭20分で失望して止めていた続きである。
 初見時は、前作で分かっている内容を改めて語らず「既成事実」として進める演出に欺瞞を感じてビデオを停めてしまったのだった。
 ところで布団の中にいるのは別に怖いからではない。風邪にはこういう副次的な利点もある。
 寝っぱなしのもてあました時間を使い、観ていない作品群の中から普段なら手が伸びない作品を選んで消化できるということだ。


 前作も怪物描写と設定のディティールが素晴らしい怪奇映画の傑作だったが、続編となる本作はクリーチャー映画としては『ザ・グリード』以来の快作といっていい。
 傑作ではなくて快作と評したのは、クリーチャーの正体、特性が前作で割れてしまっているための目新しさの欠如、そして前作のヒットにあやかり、新たな作品を作ろうとしなかったヴィクター・サルヴァ監督に一抹の不信感を拭えなかった為である。
 とはいえ、この二作目で明らかになった嬉しい事実もある。この監督の演出に初期のクライヴ・バーカー的な素養を発見できたということだ。
 素養とは、このような種の作品では現場で大きい発言権を持つ、特殊効果班に対する気兼ねを見せなかったことである。
 クライヴ・バーカーの初期作『ヘル・レイザー』『ミディアン』に特に顕著なのだが、彼は常に自己の脳内イメージ再現の限界に挑んできた。その限界ラインからはみ出てしまったのが『ヘル・レイザー』の回廊の守護者「エンジニア」の下に見えているレールというわけだが、偶然にも本作もクリーチャーが飛行する下に黄色いレール(台車?)が見えてしまっているカットがある。
 ともあれ、手を変え品を変え見せる本作での怪物と人間の攻防(というか、それしかない)は、観客が先を予想する時間を与えないペースで終始展開している。その中には、クライマックスで使用しても良かったはずのクオリティのSFXが多く含まれ、しかもそれらの多くがCGアーチストたちが顔をしかめて嫌がるカメラワーク(背景を入れ込んでのフォロー、ドリー...)ありのカットである。
 CGが導入されてこの方、現場で監督の脳内イメージとCGアーチストたちの(体力的)限界がせめぎあって画のクオリティが決まるということが一般的になっている。
 本作では明らかに少ない予算ながら、俳優たちの芝居カットにも手を抜いた形跡はなく、敬服するばかりである。そのラストには『JOJO』第二部か!?ってくらいのロマンすら漂わせて…。
 メイキングを観れば、少しはこの監督の手の内が見えるだろうか?

 
 あ、言い忘れたけどストーリーなんてありませんから、念のため。