Mind your Family business

hellbeyond2007-03-20

 一週間ほど前より爆弾を抱えていた実家の内情が変化し、仕事と平行して建て直しを図っている。
 父が患っていた鬱病がにわかに悪化したことが大きな原因であるのだが、一族郎党での方向模索の最中、久々に自分の生来のコミュニケート能力欠如を思い知らされている。
 思えば自分の家が抱えるこの問題に初めて直面したのが大学生の当時。それ以来、遺伝性を持つ(と言われる)この病に自分も何時襲われるかと怯え、忙しさの中に忘れ、またふと不安に駆られる生活を繰り返してきた。
 大学生当時の経験から今回言えることは、うちのように家人がそれぞれの生活に忙しい場合、入院が結局正しい選択肢なのだということだ。自分も中途半端な責任意識や道徳観(そして、「恥」という意識も勿論あった)から「精神病院への入院」に中々踏み切れなかったのだが、結局つきっきりにもなれない家族より、経験豊富な他人である医師や看護師のほうが有用なのである。鬱病には。少なくとも退院後の父親を見て自分はそう思った。
 しかし、前回のことがあったにも関わらず、自分たちはまたお互いを「見る」ということをいとも簡単に止めてしまっていたのだなあと思う…。
 今回も半ば強制的な入院になるかもしれない。
 一個一個、目の前に詰まれたものを整理していこう。
 問題が消えることはなくても、少なくとも整理して二つの山にでも分ければ、向こうに何があるかぐらいは見えるかもしれない。


 仕事のほうは一先ず通常のペースで進行中。今回は歴史に詳しい友人に考証面で世話になりつつの作業である。
 一昨日は二俣川にある神奈川県公文書館で古文書を閲覧。
 複写したもので見るのかと思ったら、まんま実物が封筒に入って目の前に登場。保存スペースを確保するためか、その中の資料は全て無残に折り曲げられている。しかも手袋もつけずに閲覧可能。確か目録には「寄託資料」って書いてあったような…。