オルレアンの噂

hellbeyond2008-02-21

 我が弟が脚本・ディレクションした携帯用ゲーム『オルレアンの噂』が配信開始となったので、遅ればせながらプレイしている。
 安心してプレイできる。ホラーゲームに安心とはヘンな言葉かもしれないが、言われなければ新人の作だとは誰も気付かないだろう。それくらい安定している。世間に乗り出す為の礎としては十分。後はこれを土台にどちらに踏み出すかだ。楽しみに見ている状況である。


 私は幼稚園〜小学校中学年までは将来の夢を聞かれると「ホラー映画の監督」と答えていた。が、小学4年〜中学校の間だけはその答えが「ゲーム製作者」と「映画監督」の間を行き来していた。当時のゲーム界はと言えばファミコンの熱狂覚めやらぬうちにダメ押しでスーパーファミコンが発売され、その人気は円熟期を迎えていた。円熟とはいってもそこに停滞は無く、CPU技術の天文学的進歩により、可能な表現、ゲームシステムの幅は拡大し続けていた。そこにあった「何かが始まる」「何かが出来る」という浮き足立った熱量/お祭り騒ぎの喧騒が、私が感じていた、宮崎事件以後一気に収束したホラー映画ブームへの失望の埋め合わせをしてくれたということなのだろう。
 そうして私は、中学三年間の自分は映画鑑賞とゲームに同じだけの時間を注いだ。
 状況が変わったのは高校入学だった。廃部寸前の映画研究部に入部したことで、自由に使える撮影機材が手に入ったのだ。入部したのがパソコン部で手に入ったのがゲーム制作ソフトだったら、状況は全く違っただろう。そして自分は間違いなく、現在ここにはいないだろう。現在主流を成すゲームたちと自分の趣味の齟齬を考えると、そうならなかったことは幸運といえる。


 しかし、いまリアルタイムで少年少女である年齢の彼らは、どこからそういった「熱」を受けているのだろう?
 無味無臭の映画館ではないだろう。駄作で溢れ、醗酵して饐えた臭いのするツタヤでもない。ゲームも大人の玩具と化した。音楽は鳴らず、ブラウン管は発光していない。
純粋な利益目的の「商品」やマス(ターべーション)メディア群から、そうした熱は、感じようがない。


 自分の中に微かな発熱を感じている仲間よ。そして今まさに、我らの戦場に足を踏み入れた弟よ。
 いさり火を灯そう。
 岸辺の子供にも見えるように。
そして、我々の中の、泣きながら歩き続ける迷い子のために。