惜しみなく愛は奪う

hellbeyond2008-10-17

 『愛すれど心さびしく』(’68)を観る。


 何がしか心に引っかかる出来事が実生活に起こるたびに、この作品を引き合いに出してしまいそうな、そんな映画。原題は「愛は孤独な狩人」。
 そうなのだ。我々はいつも自分のことで精一杯で、ついつい黙した人を相手に寂しさをぶちまけてしまうのだ。我がふりを省みることも無く。
 精神病院にぶち込まれる聾唖の友人の乗ったバスを追いかけ、走りながら手話で別れの言葉を叫ぶ・・・そんな冒頭に思いっきり鼻っ柱をへし折られた。主人公を演じたアラン・アーキンは本当に素晴らしい。フォレスト・ガンプが彼を標榜したキャラクターであることは明白だ。但し、彼が聾唖であるという記号は単に観客の興味を惹く要素としてだけ機能するわけではない。これは対話についての映画だからだ。
 この作品中に表されるのは主人公の行動、そしてその結果のみ。作り手は彼の表情を追うことを観客に強いる。そしてそれが本当に十分だったのかどうか、を終盤で試すのだ。監督は彼が最後にとる行動を肯定しているわけでも、美化しているわけでもない。その行為を誹謗もしくは審理する前に思え、と。
 「私は、本当に彼の言葉に耳を傾けていたか?」と。