振り下ろすがいい―覚悟が出来たなら。

hellbeyond2012-03-28

 完成披露試写会は、それ自体がまるで幼い自分が見た夢だったかのような、嬉しい時間だった。そのことについてはツィッターでもフェイスブックでも書いたので、ここでは別の話。


 今までの人生で、何回もあったこと。
 夢が自分にインスピレーションを与えてくれること。
 夢の上での話だが、夕べ初めてゾンビを「攻撃し、死に至らしめた」。
 それは映画で簡単に描かれるほど無機質なものではなかった。(使った武器が鈍器だったというのも大きいが)
 死者に追われ、反撃を余儀なくされたとき、そこに迷いが生じないはずはない。それが生きてはいない事を概念的には知っていたとしても、ヒトガタの、動き、呻く「動物」を攻撃し、傷つけ、死に至らしめる(矛盾を覚悟で書く)こと。そこに躊躇が発生しないはずはないし、何より第一撃目と次の振りかぶりとの間のラグをこそ、ドラマとしてのゾンビ映画は描くべきではないのかということだ。
 もちろんそこにはその攻撃を受けて、どのような(外見的、動き的な)変化がそのゾンビに現われるのか?という点も重要だ。(喪失感と、不可逆感ということ)
 これが次の『葬儀人 アンダーテイカー』シリーズの新描写創造の鍵になるかもしれないと思う。そしてもしかしたら、その表現を突き詰めた先には、「衝動的な虐待」の恐ろしさを警告する効果すら立ち上がってくるかもしれない。
 この件に関しては、慎重に取り扱うとしよう。