No Retreat

 心が不安定な時期というのは何をしてもうまくいかないような錯覚に陥るもので、今現在まさにその渦中にもまれて何が何やらわからぬ毎日を過ごしている。
 対外的な大きなイベントを今月中旬に控え、その先の五月にはもう次の大型仕事が薄ぼんやりと見え始めている。きっとそこにたどり着けば、この暮雨としてはかのいかない時間も、きっとのどかで薄い皮膜の中で過ごしたあたたかい時間のように思うのだろう。
 あるいは、そう望んでいる。
 「映画」について自分が積み重ねてきた時間への評価がようようされ始めている現状と遡行するように、重くのしかかるこの気分。


 自分が小学校よりこちら、ずっと身を委ねてきた大事な趣味を奪われた後の時間がついに影響を始めたのか。
 それとも、自分が表現の礎としてきたある「指向」(幸いなことにこれは「恐怖描写」「怪奇趣味」という、より自分にとって原初的なもの・・・ではないことが救いなのだが)が、明らかに日常生活の中に発見できなくなったことが原因なのだろうか。
 必要な行動が何なのかは、本当はわかっている。それが一般論的には非社会的な行動であるだけに、考えずにいただけなのだ。
 今ある日常を破壊するだけの行動力を、自分は培ってきただろうか?
 そしてもちろん、それを行うだけの精神力も?


 きっと、4月半ばのあの「会合」後に、最終的な判断の時は来るだろう。
 自分で自分の未来を選び取るために、今は深く沈み、考えることにする。