隔離が物語を減速
「蛾」がひとまず自分の納得の行くレベルまで達したので、残るは車消しカットに残った消し跡消し(ややこし)と、エンドロールのスピード調整。
いよいよだ。本当にいよいよだ・・・。
『クアランティーン2』前半の飛行機描写に、自分が『デッド・フライト』に期待して得られなかったものがほぼ全て入っており、堪能する。
後半になって舞台が閉鎖された空港(の、バックヤード=ここが問題)に移ると途端に興味がダウン。前半打っていた伏線の殆どが機内においてのみ成立するものだったからである。無駄に舞台を拡大する必要は無かったのでは?見たところ飛行機はセットを作ったようであるし、ここだけで十分面白かったはずだ。『デッド・フライト』の失敗に恐怖したのか?あの作品の問題点を分かっていたのなら、本作にとってそれは杞憂だということは自明のはずなのだが。
飛行中の旅客機という設定は十分に「隔離」的なのだ。タイトルそのまんまの状況を無理に設定しなくても良いのに。
ううむ。後半どうしよう。観ようか観まいか(どうせ観る)。
Stand by myself。
『マクト』のときも『ストップオーバーステーション』のときも体験したのだが、映画製作上のゴールまであと少しというところになると、胸中がざわざわするというのか、常に心臓が1.5拍早めに打っているというのか・・・兎に角居ても立っても居られなくなるという症状が巻き起こる。
緩慢にしか進行しない自分担当部分の仕上げの苦しさ(まあ、映画製作の最終段階というのはそうしたものなのだが)。これから先に待っている闘いへの畏怖と、この作品の現場から去りたくないという気持ち。
そして、自らの手では抱えきれない巨大な「作品」を売ることに対する武者震い。
立ち上がらなければいけない。チューンナップは十分なのか、旅の準備はできているのか、もう一度確かめよう。
この作品を世間的に成功に導くためには、いろいろと必要だから。
糞の上に糞が乗る。
渋谷のゲオが50円レンタルをやっていることを知り、ツタヤではどうもレンタルするに至らなかった作品群をまとめてレンタルすることに。
期待の新作『新・トレマーズ』、本ブログでも褒めた『ブラディ・ヴァンパイア』のオブロウィッツ監督作品『キラー・シャーク』(洋題『ハンマーヘッド』)、ダカスコス主演の『エイリアンVSエイリアン インベージョン』、SF大作『ゲーマー』など。しかし好事魔多し。そのどれもが御糞である。
知人とよく話すことであるのだが、いまどき映画くらいじゃないだろうか。ここまで極端なやっつけ仕事がそのメディアの表舞台に並んでしまうのは。もう新作B級は借りない、何度も申し上げたその誓いを破って借りてきたのにこの体たらくである。
どのように糞か、どうしたらここまで糞にならなかったのか・・・を語る・・・そういった今後映画製作を志す方々の役に立ちえる反面教師的な役割すら担わせられない(これら作品から得られる教訓は唯一つ。「やる気が無いなら作るな」だけだ)本物の屑がここ10年で驚異的に本数を伸ばしつつある。
映画の死は近いのか。
これまで厳粛で中立的、かつ映画技術的な眼による批評を避けてきたジャンル映画ファンたちにとっては厳しい市況であるとは言える。
今日の画像は、理屈抜きに「好き」な作品。しかしこの「理屈抜きに」という言葉に逃げず、どのような映画的技法がこの作品を自分にとっての至高作品としているのかを語らなければいけないのだ。自分は。
沈黙の夕焼け
監督した映画作品の最終音楽打ちあわせのため、そしてHP制作の打合せのため、藤沢へ赴く。
そして、ここ何年間かずっと感じていたつかえ感の正体に、帰りの電車の中でふと気付く。
自分は、大切な友と会うたびに、くだらない(これは、本当の意味ではくだらなくない男同士の会話をさすのではなく、本質的に下らない、刹那的な会話を指す)ことを何時までも話し、その会話の中に隠れた「沈黙」の糸口についぞ気付かず・・・焦るように言葉を重ねてきたのだなあ。
その相手との関係が疎遠になればなるほど、これは顕著になる気がする。
まるで沈黙を恐れる人間のように。沈黙が、まるで離れた距離を表すかのように感じていたから。
本当は逆なんだろう。自然に沈黙できる関係こそ、得がたいものなんだと思う。共に自転車で美しい夕暮れを走るとき、無言になれることは本当に幸福なことなのだと思う。
今年の目標は、そんな関係に少し立ち返ってみること。
そして、いま生まれようとしているこの作品に、あの障壁をぶち抜く力を今一度与えること。
・・・までが遠足です。
ただいま。
本当に、長い旅に出ていました。
今の自分は、その旅で手に入れてきた宝物を、
磨き、組み合わせ、時には拾捨選択し、
中学生の自分に認めてもらえるような作品を、
あの当時のビデオショップの棚に相応しい商品を、
生み出そうとしているところ。
ゾンビ映画です。
アクション映画です。
アフター・アポカリプス物です。
過度にむごい死体が登場します。
そして、「誰かに何かをしてあげたい」主人公が孤独にもがき苦しむ、青春映画です。
この作品でゆうばりに行けることを心から感謝。
そして、血となり肉となり、参加してくださった皆さんにも、もちろん、感謝。
・・・さて、そういえば『ブラックアウト』以来トップ画像を変更してないけれども、新作で嬉しかったものといえばせいぜい『ラン・オブ・ザ・デッド』の「頭を狙っても外して喰われる」という思わず膝打ち描写くらい。
もう『エイリアン・〜』とか『〜プレデター』とかってタイトルに反応しなくなっちゃったのは、大人になったってことなんだろうか。
とか言いながら、準新作に落ちた『新トレマーズ』に手が伸びそうになったり。
2月が過ぎたら少しは時間も出来るでしょう。
そしたら観ますよ。『暴走コップ タッカー』とかをね。
高いところを飛びたい。
今日はジョン・ウォーターズ作品中最も好きな『PECKER』の主題歌が脳裏に突然蘇り、急遽連続拝聴する。
以下がその歌詞。
『Happy Go Lucky Me』 Paul Evans
I can laugh, woh-oh-oh, when things ain't funny
Ha-ha-happy go lucky me, oh yeah
I can smile when I ain't got no money
Ha-ha-happy go lucky me
Well, it may sound silly, but I don't care
I got the moonlight, I got the sun
I got the stars abo-o-o-ove
Me and my filly, well, we both share
Slappy go happy, happy go lucky lo-o-o-o-ove
We-e-ell, life is sweet, oh-oh yeah, sweet as ho-oney
Ha-ha-happy go lucky me, oh yeah
Ha-ha-ha-ha-ha-ha happy go lucky me
Ha-ha-ha-ha-ha-ha happy go lucky me
Well, it may sound silly, but I don't care
I got the moonlight, I got the sun
I got the stars abo-o-o-ove
Me and my filly, well, we both share
Slappy go happy, happy go lucky lo-o-o-o-ove
We-e-ell, life is sweet, oh-oh yeah, sweet as ho-oney
Ha-ha-happy go lucky me
Ha-ha-happy go lucky me, oh yeah
Ha-ha-happy go lucky me
そういえば、先ごろリリアーナ・カヴァーニの『狂える戦場』をビデオで観て、久方ぶりに映像に胸を悪くした。あの「人魚」ってモノホンじゃないですよね?少なくとも胸の辺りの肉感的な感じは生きてるものだからこそだと思うので、顔だけメイクしたとかって思いたい。